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最近、頓に運動不足を実感している私です(^_^;)
このままではイケナイ!
と解っていても、ついついサボリがち(汗)。
腰痛対策の為にストレッチも始めたけど、
(今頃かぃっ!てツッコまないでね・滝汗)
やっぱりサボリがち(>_<)
(三日坊主とも云う・苦笑)
そんな折り、一昨日の帰り道。
自宅の最寄り駅の一つ手前の駅近くに用事があり、途中下車して用事を済ませ、
さて帰ろう、
とした時にふと思い付いたのです。
未だ時間も早いし、一駅分くらい歩いちゃえ!って☆
自宅迄30分。
体はポカポカしてくるし、良い感じ?
うん。
結構、良い運動になりそぅだわ♪
と思いました。
これから『雨の日』や『遊びに行った帰り』以外は一駅歩こう!
と決めました。
で・・・
昨日は『雨』。
今日は仕事でいっぱい歩いたのでナシ。
あら?
やっぱり三日坊主?(爆)
ぃえぃえ。
明日はお天気のようですし、急な『呑み会』さえなければ歩きますよ~p(^-^)q
ただね・・・
結構、車の交通量が多い割には歩道が整備されていない道を歩くのよねぇ・・・。
ちょっと危ない(>_<)
更に・・・
足下は5~7cmのヒールのブーツ。
う~~~ん。
これからは「ウォーキングシューズ」で通勤しようかなぁ(悩)。
ま、取り敢えずは『歩く事』ですよね☆
頑張りますっ!!!
このままではイケナイ!
と解っていても、ついついサボリがち(汗)。
腰痛対策の為にストレッチも始めたけど、
(今頃かぃっ!てツッコまないでね・滝汗)
やっぱりサボリがち(>_<)
(三日坊主とも云う・苦笑)
そんな折り、一昨日の帰り道。
自宅の最寄り駅の一つ手前の駅近くに用事があり、途中下車して用事を済ませ、
さて帰ろう、
とした時にふと思い付いたのです。
未だ時間も早いし、一駅分くらい歩いちゃえ!って☆
自宅迄30分。
体はポカポカしてくるし、良い感じ?
うん。
結構、良い運動になりそぅだわ♪
と思いました。
これから『雨の日』や『遊びに行った帰り』以外は一駅歩こう!
と決めました。
で・・・
昨日は『雨』。
今日は仕事でいっぱい歩いたのでナシ。
あら?
やっぱり三日坊主?(爆)
ぃえぃえ。
明日はお天気のようですし、急な『呑み会』さえなければ歩きますよ~p(^-^)q
ただね・・・
結構、車の交通量が多い割には歩道が整備されていない道を歩くのよねぇ・・・。
ちょっと危ない(>_<)
更に・・・
足下は5~7cmのヒールのブーツ。
う~~~ん。
これからは「ウォーキングシューズ」で通勤しようかなぁ(悩)。
ま、取り敢えずは『歩く事』ですよね☆
頑張りますっ!!!
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奈良・平群町の女児殺害事件の容疑者(被告)が、案の定「人格障害」と診断されましたよ。
これで、容疑者の刑は軽くなるor罪を問われなくなる可能性がぐんと高まってしまいましたよ。
これで、容疑者の刑は軽くなるor罪を問われなくなる可能性がぐんと高まってしまいましたよ。


犯人(現時点では未だ容疑者)は我が子の事だけを想い事件を起こした。
盲目の愛
と迄は云えないが、親が子を想う気持ちはとても深い。
そして、その深い愛は時に暴走し、自己中心的になる。
この愛故の行動(犯行)は罪に問われるのでしょうか?
この愛故の行動に対し、罰は科せられるのでしょうか?
私の結論は、問われて然るべきだし、罰を科して当然、と云う事です。
穢れない命に代えられるものなどないのですから。
どんな理由が有ったにせよ、どういう精神状態にあったにせよ、赦されるものではないと思うのです。
そぅ。
「どんな精神状態にあっても」です。
彼女には「精神科」の通院経歴があったそうです。
と云う事は、この事実が明るみに出た時点で、彼女が罪に問われる可能性は非常に低くなります。
~犯行時、精神に異常をきたし、判断能力を喪失していた~
~よって、罪に問えない~
このような判断が刑事裁判で下されるのが、目に見えるようです。
過去の幼児殺害・暴行・監禁等の事件の犯人も、その殆どが、
~犯行当時、精神錯乱状態にあった~
と判断され、罪を逃れているのです。
だいたい、
凶悪犯罪の容疑者は、必ずと云って良い程「精神鑑定」を受けているのではないでしょうか?
そして「精神錯乱状態(異常をきたしていた)」との鑑定が下され、罪に問われなくなるのです。
私・・・
いつも思うのですが、
人を殺めようと思っている時の、そして殺めている時の、その人の心理状態って、正常とは思えないのです。
正常な、普通の心理状態であれば、決して行為には及べ無いはず。
皆、平常心を失い、頭が真っ白になっている(精神錯乱状態)になっているから、惨い行為に及べるのだと思うのです。
と云う事は・・・
型通りの精神鑑定を受けたところで、犯行時以外は「白」でも、犯行時は皆「黒」になるじゃない?
そして、罪を免れてしまうのです。
これは、現行の法律の下に判断されている事だから、仕方がないのかも知れない。
でも、それでは被害者やその家族、遺族の方達は救われない。
そこで、公的機関が罪に問われないので有れば、「損害賠償(民事訴訟)」という形で、罪を問い、罰を科そうとするのです。
だけど・・・
これは簡単に出来る事ではありません。
「刑事裁判」は警察や検察が国の予算を使って裁判を行います。
が、「民事訴訟」は個人が、個人の予算を使って全ての事をやらなければならないのです。
その労力・費用・時間・心労は察するに余りあります。
傷つけられ、癒されない方々に対し、更に鞭を打っている様なものではないでしょうか?
私・・・
「精神鑑定」は不要だと思います。
凶悪犯罪者は、大なり小なり、皆、心を病んでいるはず。
(でなければ、犯罪は犯せないと思っているから)
病んでいた(いる)からと言って、それが何?
犯した罪は罪。
罰を受けて当然。
凶悪犯罪者の過去や、犯罪に至る経緯に対しての情状酌量は有っても良いかも知れないけれど、罪そのものをチャラにしてしまうのはどうかと思います。
賛否両論有るでしょうし、一概には云えない難しい問題だとは思いますが、先ずは被害者の事を第一に考えるべきだと私は思います。
盲目の愛
と迄は云えないが、親が子を想う気持ちはとても深い。
そして、その深い愛は時に暴走し、自己中心的になる。
この愛故の行動(犯行)は罪に問われるのでしょうか?
この愛故の行動に対し、罰は科せられるのでしょうか?
私の結論は、問われて然るべきだし、罰を科して当然、と云う事です。
穢れない命に代えられるものなどないのですから。
どんな理由が有ったにせよ、どういう精神状態にあったにせよ、赦されるものではないと思うのです。
そぅ。
「どんな精神状態にあっても」です。
彼女には「精神科」の通院経歴があったそうです。
と云う事は、この事実が明るみに出た時点で、彼女が罪に問われる可能性は非常に低くなります。
~犯行時、精神に異常をきたし、判断能力を喪失していた~
~よって、罪に問えない~
このような判断が刑事裁判で下されるのが、目に見えるようです。
過去の幼児殺害・暴行・監禁等の事件の犯人も、その殆どが、
~犯行当時、精神錯乱状態にあった~
と判断され、罪を逃れているのです。
だいたい、
凶悪犯罪の容疑者は、必ずと云って良い程「精神鑑定」を受けているのではないでしょうか?
そして「精神錯乱状態(異常をきたしていた)」との鑑定が下され、罪に問われなくなるのです。
私・・・
いつも思うのですが、
人を殺めようと思っている時の、そして殺めている時の、その人の心理状態って、正常とは思えないのです。
正常な、普通の心理状態であれば、決して行為には及べ無いはず。
皆、平常心を失い、頭が真っ白になっている(精神錯乱状態)になっているから、惨い行為に及べるのだと思うのです。
と云う事は・・・
型通りの精神鑑定を受けたところで、犯行時以外は「白」でも、犯行時は皆「黒」になるじゃない?
そして、罪を免れてしまうのです。
これは、現行の法律の下に判断されている事だから、仕方がないのかも知れない。
でも、それでは被害者やその家族、遺族の方達は救われない。
そこで、公的機関が罪に問われないので有れば、「損害賠償(民事訴訟)」という形で、罪を問い、罰を科そうとするのです。
だけど・・・
これは簡単に出来る事ではありません。
「刑事裁判」は警察や検察が国の予算を使って裁判を行います。
が、「民事訴訟」は個人が、個人の予算を使って全ての事をやらなければならないのです。
その労力・費用・時間・心労は察するに余りあります。
傷つけられ、癒されない方々に対し、更に鞭を打っている様なものではないでしょうか?
私・・・
「精神鑑定」は不要だと思います。
凶悪犯罪者は、大なり小なり、皆、心を病んでいるはず。
(でなければ、犯罪は犯せないと思っているから)
病んでいた(いる)からと言って、それが何?
犯した罪は罪。
罰を受けて当然。
凶悪犯罪者の過去や、犯罪に至る経緯に対しての情状酌量は有っても良いかも知れないけれど、罪そのものをチャラにしてしまうのはどうかと思います。
賛否両論有るでしょうし、一概には云えない難しい問題だとは思いますが、先ずは被害者の事を第一に考えるべきだと私は思います。


今回の事件。
犯人は外国籍の母親でした。
日本という国は周囲を海に囲まれ、或る意味外界と隔絶された国です。
それは江戸時代に施行された「鎖国政策」にも現れています。
容易にこの政策が行われたのは「海」という壁があったからだと思います。
荒波の日本海。
大海原の太平洋。
当時、外国からの訪問手段は船しかなく、海の難題を克服しなければなりませんでした。
従って、その海の玄関を封鎖さえすれば「鎖国」は容易な事だったのでしょう。
そして・・・
閉ざされた空間(国)の中で、島民(国民・日本人)は外敵(外国・異端者)を排除し、島内(国内)の連帯・連携を深めていったのでしょう。
現在。
諸外国から日本に来ている人は沢山いらっしゃいます。
理由は様々。
「旅行」「留学」「仕事」「結婚」
今回のように外国籍の方が何らかの事件を起こすと、
「これだから外人は・・・」
と云って、暗に
「日本人ではないから信用出来ない」
「外国人は何を考えているか解らない」
と避難の標的にしがちです。
そして・・・
外国籍の人達を排除しようとするのです。
過去、何かしらの事件を起こしていたのは、或る意味「特殊な」外国籍の人達。
日本に根を下ろしていない人達。
日本の地域社会とは一線を引いた人達でした。
しかし、今回は違います。
日本に根を下ろし、地域社会に入り、実生活を送っていた女性です。
同じ地域に暮らしている外国籍の住人は言います。
「これで、私達外人を見る目が冷たくなる」
と。
国籍が違っても、人は人。
考え方や文化が違っても、同じ「人」。
国籍の違う人(外来人)だから犯罪を犯すのでは有りません。
外国籍だからと云って地域から排除する(疑う)のではなく、先ずは受け入れる寛容さがあって初めて判断すべきなのではないでしょうか?
外国籍だから信用出来ない。
同じ国籍でも安心は出来ない。
いくら身近にいる人だからといっても所詮は他人。
他人は信用出来ない。
だから、自分(家族)の身は自分で守るしかない。
これって、怖い事だと思いませんか?
心の鎖国だけはしないように、
そんな人にならないように願う今日この頃です。
事件の被害者となった幼い命の冥福を祈ります。
合掌。
犯人は外国籍の母親でした。
日本という国は周囲を海に囲まれ、或る意味外界と隔絶された国です。
それは江戸時代に施行された「鎖国政策」にも現れています。
容易にこの政策が行われたのは「海」という壁があったからだと思います。
荒波の日本海。
大海原の太平洋。
当時、外国からの訪問手段は船しかなく、海の難題を克服しなければなりませんでした。
従って、その海の玄関を封鎖さえすれば「鎖国」は容易な事だったのでしょう。
そして・・・
閉ざされた空間(国)の中で、島民(国民・日本人)は外敵(外国・異端者)を排除し、島内(国内)の連帯・連携を深めていったのでしょう。
現在。
諸外国から日本に来ている人は沢山いらっしゃいます。
理由は様々。
「旅行」「留学」「仕事」「結婚」
今回のように外国籍の方が何らかの事件を起こすと、
「これだから外人は・・・」
と云って、暗に
「日本人ではないから信用出来ない」
「外国人は何を考えているか解らない」
と避難の標的にしがちです。
そして・・・
外国籍の人達を排除しようとするのです。
過去、何かしらの事件を起こしていたのは、或る意味「特殊な」外国籍の人達。
日本に根を下ろしていない人達。
日本の地域社会とは一線を引いた人達でした。
しかし、今回は違います。
日本に根を下ろし、地域社会に入り、実生活を送っていた女性です。
同じ地域に暮らしている外国籍の住人は言います。
「これで、私達外人を見る目が冷たくなる」
と。
国籍が違っても、人は人。
考え方や文化が違っても、同じ「人」。
国籍の違う人(外来人)だから犯罪を犯すのでは有りません。
外国籍だからと云って地域から排除する(疑う)のではなく、先ずは受け入れる寛容さがあって初めて判断すべきなのではないでしょうか?
外国籍だから信用出来ない。
同じ国籍でも安心は出来ない。
いくら身近にいる人だからといっても所詮は他人。
他人は信用出来ない。
だから、自分(家族)の身は自分で守るしかない。
これって、怖い事だと思いませんか?
心の鎖国だけはしないように、
そんな人にならないように願う今日この頃です。
事件の被害者となった幼い命の冥福を祈ります。
合掌。


哀しいニュースが無くなる日なんてくるのかしら・・・。
と思わずにはいられない事件・事故が絶えない昨今。
しかも幼子が標的にされる事件には目や耳を塞ぎたくなる。
先日も滋賀県長浜市で哀しい事件が起きました。
幼稚園児二人が何者かによって刺し殺され、側溝に置き去りにされていた。
犯人はこの二人を幼稚園まで送り届けるはずだった、同じ幼稚園に我が子を通わせている母親。
元々、幼稚園に子供を通わせている親達が、昨今の事件を憂慮し、子供達を犯罪者達から守る為に子供達の送迎を行っていた。
その親が・・・
犯罪者となったのです。
そう。
誰もが思いも寄らなかった所から事件が起こったのです。
この事件が何をもたらすのか・・・。
「自分以外は全て敵(犯罪者予備軍)」
「互いに互いを監視し、我が子を守らなければならない」
そう考えるようになっても不思議ではない。
だけど、
隣人を疑え
と云うのでしょうか?
地域の繋がり、地域の助け合いが見直されている今。
矛盾していませんか?
昔から有る「隣組」の制度。
地域で連帯して子供を育て、弱者を守り、助け合う。
それはとても自然発生的な制度だったのでしょう。
お互いがお互いを思い遣り、互いの発展・繁栄の為に。
だけどこの制度は、残念ながら戦時下に於いて「互いを監視し合う」と云う集団と化してしまいました。
「非国民」を見つけると村八分にし、軍・警察へ通報する。
そぅ。
連帯意識が強いが為に生まれる副産物。
「異端者を認めない」と云う意識。
組織に馴染まない者を排除し、組織の安全を図ろうと云う・・・。
この事件を契機に、戦時中のような「隣組」になってしまうのではないかと危惧してしまいます。
人は人を信じるからこそ、繋がり栄えるのでは?
互いを理解しようと務めるからこそ、互いに支え合い、成長出来るのではないでしょうか?
地域が連携し、未来のある(未来を支える)子供達を守り、育てる。
人を信じ、繋がっていられる地域社会であって欲しいと願わずにはいられません。
と思わずにはいられない事件・事故が絶えない昨今。
しかも幼子が標的にされる事件には目や耳を塞ぎたくなる。
先日も滋賀県長浜市で哀しい事件が起きました。
幼稚園児二人が何者かによって刺し殺され、側溝に置き去りにされていた。
犯人はこの二人を幼稚園まで送り届けるはずだった、同じ幼稚園に我が子を通わせている母親。
元々、幼稚園に子供を通わせている親達が、昨今の事件を憂慮し、子供達を犯罪者達から守る為に子供達の送迎を行っていた。
その親が・・・
犯罪者となったのです。
そう。
誰もが思いも寄らなかった所から事件が起こったのです。
この事件が何をもたらすのか・・・。
「自分以外は全て敵(犯罪者予備軍)」
「互いに互いを監視し、我が子を守らなければならない」
そう考えるようになっても不思議ではない。
だけど、
隣人を疑え
と云うのでしょうか?
地域の繋がり、地域の助け合いが見直されている今。
矛盾していませんか?
昔から有る「隣組」の制度。
地域で連帯して子供を育て、弱者を守り、助け合う。
それはとても自然発生的な制度だったのでしょう。
お互いがお互いを思い遣り、互いの発展・繁栄の為に。
だけどこの制度は、残念ながら戦時下に於いて「互いを監視し合う」と云う集団と化してしまいました。
「非国民」を見つけると村八分にし、軍・警察へ通報する。
そぅ。
連帯意識が強いが為に生まれる副産物。
「異端者を認めない」と云う意識。
組織に馴染まない者を排除し、組織の安全を図ろうと云う・・・。
この事件を契機に、戦時中のような「隣組」になってしまうのではないかと危惧してしまいます。
人は人を信じるからこそ、繋がり栄えるのでは?
互いを理解しようと務めるからこそ、互いに支え合い、成長出来るのではないでしょうか?
地域が連携し、未来のある(未来を支える)子供達を守り、育てる。
人を信じ、繋がっていられる地域社会であって欲しいと願わずにはいられません。